大成功!「危険な普天間基地の即時閉鎖・返還を!沖縄に連帯する6・12京都集会」

1 岡崎の「みやこめっせ」に、6月12日、1200人が集い、集会アピール採択後パレードを行い、普天間基地を撤去しようという声が京都市内に高らかに 響きました。この(略称)沖縄連帯集会が成功裏に終わり、ほっとしています。でも、普天間基地撤去の課題はこれからがホンチャン。この集会での到達点をさ らに延長して、安保条約廃棄の日が必ず来ることを期して、実行委員会は解散しました。

(奥村一彦)


2  まず、集会には多くの自由法曹団京都支部団員の惜しみないご協力があったことを御礼申し上げます。集会への事前の賛同と多額の賛同金が38名もの団員の 方々から寄せられたことは集会成功への大きな第一歩となりました。当日の集会への団員の参加も20名を越える参加で盛り上がりました。実行委員会の事務局 長を奥村が、準備の段階から小笠原団員、岩佐団員が参加し、当日は司会を古川美和団員、伊波洋一市長の講演アシスタントを大河原事務局長が担いました。

3  この集会の構想は、昨年12月、アジア共同行動のYさんから3月ころ沖縄の普天間基地撤去問題で集会をしようじゃないかと問題提起されたのをきっかけ に、団が積極的に取り組んだところから練り上げられました。準備を何回も重ね、事務局会議・実行委員会会議、チラシの作成と配布、賛同と賛同金の呼びか け、特に(高額の)屋内集会での難しさもあり、会場との折衝は多難でした。また、当日の雑務的準備など、たくさんの会議と実務を、まずまず比較的ゆっくり したテンポで進めることができたと思います。

4 ゆっくりしたテンポだった理由は、沖縄問題に心を痛める京都の幅広い主義主張の違う市民 団体・個人が6月12日の一日共闘だけを共通の目標に、基地撤去だけでなく、安保条約廃棄は一致点にできないか、など集会の一致点をどうするのかのそもそ もの議論から始まって、スローガンの確定、実行委員会の役割分担など、何もかも最初から議論が必要であったことです。途中、集会呼びかけを「憲法と平和 きょうとネット」で行うことが決まってからは、スムーズに進んだように思います。それでも議論の過程で、時には緊張することも多々ありました。しかし、運 営上の五原則を遵守すること、目的の一致点で結集し決してはずれないことを原則とし、最後までいくことができました。

5 この集会は、ま さに沖縄問題で政治的に激動が起こる中で開催できました。鳩山首相の移設先探しと住民の拒絶の連日の報道、徳之島住民の移設反対決起集会、4月23日の首 相の沖縄訪問、25日の沖縄県民集会の9万人の参加による基地撤去への強い意思表示、5月16日の豪雨の中での普天間包囲行動の成功、「日米共同声明」を 巡り鳩山政権から社民党の内閣からの離脱、鳩山政権の崩壊、の一連の出来事が集会直前にあったことは、集会の時期が絶好のタイミングであったことを物語っ ています。鳩山政権は、日米共同声明で辺野古への移転と訓練の分散を合意して政権を投げだしてしまい、菅政権はそれを踏襲するという最悪のシナリオがしか れましたが、集会アピールでは、鳩山前首相への公約違反への抗議と菅首相の日米合意を重んじる発言に対する最初の牽制の声をあげることになりました。

6 この集会の意義は、沖縄と連帯して基地閉鎖を求めるという本土からの強烈なアピールとして、沖縄の人々を励まし、また常にあったと言われる、沖縄と本土との溝を埋める重要なアドバルーンとなったことです。
   沖縄との連帯を強調することから必然的に沖縄色を前面に出す構成になりました。オープニングの沖縄三線(サンシン)、司会のお一人を京都沖縄県人会の方 にお願いし、宜野湾市長伊波洋一さんの講演と影像、沖縄県人会会長の発言、5名の女性による現代エイサーの舞踏、沖縄物産の販売もありました。特に沖縄県 人会が沖縄県議会の全会一致で県内移設反対となったことを受け、京都でも普天間基地の撤去で運動を始めたことは集会の重要な柱となり、集会全体を盛り上げ ました。

7 はじめにも書きましたが、沖縄の基地撤去問題はこれからです。団の力を総結集して基地撤去運動に取り組む将来も遠くないと思います。
  最後に集会アピールを掲載して、今後の出発点としたいと思います。

「 政府は、本年5月28日、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間基地の移設先として同県名護市の辺野古崎とその沖合に1800メートルの滑走路を持つ米軍飛行場を建設する「日米共同声明」を発表し、同時に「閣議決定」しました。
しかし、これらは、4月25日、沖縄県知事をはじめ県内の全首長が参加して行われた普天間基地の県内移設に反対する県民大会で示された民意を踏みにじるものであり、到底受け入れることはできません。「日米共同声明」と「閣議決定」の撤回を強く求めます。
そ もそも普天間基地は、第二次世界大戦の末期の沖縄戦のさなかに米軍が住民を追い出して建設したもので、65年たった今もまだ宜野湾市の真ん中にあります。 宜野湾市の住民は、軍用機の激しい爆音被害と墜落の危険性、さらには米兵の起こす事件事故の恐怖にも常にさらされています。住民は一日も早い基地撤去を強 く望んできました。だからこそ政府も、被害を訴える住民の声に押され、基地負担の軽減を図ることを約束してきた経過があります。
 それにもかかわ らず、鳩山前政権は、「普天間基地の最低でも県外移設」の公約を投げ捨て、沖縄県民の期待を裏切りました。そして、日米政府のいう「抑止力」や「安全保 障」を理由に、ジュゴンも生息する辺野古崎及びその沖合に米軍基地を建設し、徳之島を含む各地に米軍の訓練を分散する合意をしたのです。菅政権がこれを引 き継ごうとしていることは重大です。「抑止力」や「安全保障」を理由に、これ以上住民の命や暮らしを犠牲にすることは許されません。
 私たちは、 本集会における講演と発言を踏まえ、沖縄の人々と連帯を深め、今後とも普天間基地の危険性を一刻も早く除去させるとともに、美しい辺野古の海に米軍基地を 建設させないよう声をあげましょう。そして基地のない平和な沖縄、日本をめざし、日米両国政府に対し、普天間基地の即時閉鎖・返還を求めます。