完全勝利和解・ウェザーニューズ過労自殺事件(2010年12月20日)

1 事件発生2008年10月2日、労災申請2009年10月、労災認定2010年6月、裁判提訴2010年10月1日、そして12月14日、完全勝訴と評価できる和解解決に至った。
 相手はウェザーニューズ。今から24年前創立されたこの会社は、今や気象情報業界の最大手になっている。
 亡くなったのは、25歳の青年気象予報士。入社後、丁度半年が経った直後のことだ。会社では、最初の半年間を「予選期間」と呼んでいる。そこで勝ち残った者が真の正社員になれるという構図である。「予選期間」が終わったその直後、彼は自ら若い生命を絶った。
 「会社の急成長のかげには、いつものように厳しい労働環境がある。」それは、今の日本社会全体を覆う黒い雲。
2 京都に住む遺族が、私のもとを訪れたのは、事件発生から8ヶ月後だった。遺族は会社の門を叩いたが、会社はどれだけ待っていても何もしてくれなかった。
 会社は、千葉県海浜幕張にある。監督署は千葉市にあり、事件に関わりのある人は全部東京や千葉にいた。私は、当時、日弁連の仕事で週に一度の東京通いが続いていた。この機会を最大限利用することにし、依頼を受けた。
 一定の資料収集のあと、会社を直撃した。会社は、それなりに私たちに対応し、また資料の提供にも応じてくれたが、勤務時間の鍵を握ると思われた「日報」の提出は、頑なに拒絶した。そして「彼だけが特別長時間勤務をしていたのではない。仕事によるものだとは思っていない。」と冷たく突き放した。「その点は、監督署の判断に委ねたいので、必要な協力は必ずするよう」申し入れ、あとは更なる証拠収集と監督署の認定へ向けての取り組みを進めることにした。

3 この種の事件では、パソコンや携帯メールは貴重な宝庫である。仕事が終わった後、同僚にあてたメールを見ると、いつ仕事を終えたかが分かる。同時に、彼と親しかった同僚が生々しい証言をしてくれ、これが最大の拠り所となった。こうした同僚の存在は、彼の人柄を示している。
 彼は、会社のすぐ近くに居を構えた。これは帰宅するのがどれだけ遅くとも可能となることや、休日にも対応できるようにするためだ。長距離通勤も大変だが、こうした職住接近も却って息を抜く時間を無くしてしまう。いかに「会社漬け」であったかは、ここからも理解できる。

4 監督署の判断は、随分と早くなった。過労自殺の業務上認定まで8ヶ月だった。もとより、詳細な資料を準備し、何度も監督署に足を運び、そうした取り組みの上での話ではあるが。
 ただ、労災の補償額は、独立生活をする単身者の場合、あまりに低い。
 他方、資料収集の過程で、この会社には、労働時間管理が全くなく、彼の同僚が会社に配慮を求めたが、相手にされなかったりするなど、明らかに責任を問える事案と思われた。

5 そこで、業務上認定が出たことを受けて、会社に再度、然るべき補償措置をとることを求め、話し合い解決を申し入れた。しかし、しばらくして、「会社には責任は無いので、一切応じられない」と木で鼻をくくった三行半の冷たい返答が、弁護士名で届いた。
 こうなれば、訴訟を起こすしか道は無い。また、それまで労災認定をされたこともマスコミに伏せていたが、そんな配慮はする必要もない。訴訟になれば、どんな社会的反応が出てくるか、会社は、読み切れなかったようである。先の気象を読むほど、社会の先は、読めていなかったのである。

6 提訴に踏み切り、記者会見をした。遺族の方々にも登場してもらうことが不可欠と考え、説得した。マスコミの力は大きい。ニュースは全国を巡った。会社のコメントに「誠意をもって対応してきたのに」という文言があった。提訴まで、およそ何の「誠意」も示されたことはない。しかし、その嘘は、私たちが言わなくても、多くの人たちが、「誠意をもってあたってきたのであれば、どうして提訴されるのか?」と切り返してくれた。会社に対し、批判・非難の声が次々と突きつけられた。
 そして提訴後、会社の対応は、180度変わった。三行半の回答文をこちらに送付した弁護士は、辞めさせられ、新しい弁護士が登場し、早期の和解解決を申し入れてきた。

7 ニュースの力が、会社の対応を変えた原動力となった。ニュースが出た後の会社の対応の変化は、早かった。訴訟が続くと、その間、ずっと会社は言い訳に終始し、どんどん追い詰められていく。そして判決になれば、もっと大きなインパクトを会社に与える。それは、日本に上陸した台風が列島を横切り、全国に大きな影響を与える様子によく似ている。台風が上陸することを拒めなかったが、1日も早く通過させた方が良いとの判断があったと思われる。

8 提訴して2ヶ月半で完全勝利の和解は、珍しい。会社は、事実と責任を認め謝罪した。そして補償金を支払った。さらに、再発防止の諸措置を約した。大きな社会問題になるまで解決姿勢を示さなかった会社である。再発防止にどこまで本気かは、これから先を見守るしかない。しかし、このことは、これから先の我が国社会に課せられた最大のテーマでもある。
 早期に労災認定がされたこと、早期に和解解決が出来たこと。
 これまでの数十年に及ぶ過労死・過労自殺事件の取り組みが、そんな状況を作り上げてきたことは間違いがない。そして、従前は、労災が駄目になってから弁護士の門を叩く人が多かったが、今では、事件が起こってまもなく、弁護士の門を叩く被災者が増えている。それが解決に大きな影響を与えていることは間違いがない。
 同時に、若い人たちが希望を膨らませてこれからの人生を歩めるよう、この事件が問いかけたものを、これからも私なりに訴え続けていきたい。

(村山 晃)