疲弊するイギリスの小選挙区制

弁護士 渡辺輝人

始めに
 イギリスでは、国会下院の選挙での小選挙区制廃止と対案投票制(AV)という制度の導入の賛否を問う国民投票を5月5日に実施します。以下の文章は、2月20日?27日の日程で、立命館大学小堀眞裕教授と自由法曹団が合同で行ったイギリスの動向の調査について、自由法曹団向けに書いたレポート原稿の抜粋です。今後レポートは自由法曹団から公表される予定ですので、詳細はそちらをご覧頂きたく存じます。
「少数者」であるサッチャー、ブレアの暴走とそれへの批判
 イギリスでは、70年代以降、保守、労働の二大政党の求心力が低下し、投票率の低下、二大政党の得票率の低下という現象が起こり始めた(直近の選挙での二大政党の得票率は65%である)。
 しかし、二大政党制を前提にした小選挙区制は維持されたため、低投票率の下で50%に及ばない得票率でも二大政党のいずれかが国会の多数の議席を占め、政権を運営する状況は続いた。一方、自由民主党を始めとする第三党以下は小選挙区制に阻まれて議席を得ることができなかった。
 特に、イギリスの場合、中道政党である自由民主党は小選挙区制によって最も負の影響を受けており、70年代以降、一貫して20%前後の得票率を得ているにもかかわらず、数%の議席しかとれない状況が続いた。自由民主党は当選可能性のある選挙区に重点的に力を入れるなど選挙戦術を進化させたが、2000年以降の3回の総選挙でも議席瀬乳率は10%に満たない状況が続いている。
 80年代のサッチャー政権の時代にはいると、保守党は多くても40%代前半の得票率しか得ていないにもかかわらず、安定した議席を得続け、人頭税に代表される新自由主義的政策が推し進められた。今回の調査では、サッチャー政権の攻撃によって労働党が強かったロンドン大都市圏議会(日本の東京都議会のようなもの)が解体され、元議事堂の建物がホテルになっている状況も目の当たりにした(なおロンドン大都市圏議会は2000年に復活している)。
 また、1997年以降の労働党・ブレア政権も、せいぜい40%代前半から30%代半ばの得票率しか得られていないのに、議会で安定した議席を得続け、国民の反対を押し切ってイラク戦争に参戦するなどした。
 このような強権的な政治運営に対しては「少数者による独裁」という強い批判がなされた。今回の調査では、労働党の「AV賛成」運動の責任者が同じ労働党のブレア政権の暴走を公然と批判していたのが印象的だった。
 二大政党が国民の支持を失う一方、第三党の自由民主党の得票率は選挙の度に上がっていき、最近ではメディア等でももはや「二大政党」とは認識されなくなっている。そして、2010年の総選挙では、1974年2月の選挙以来となる、保守党も、労働党も過半数の議席を得ることができない「ハングパーラメント」の状態が出現した。労働党と自由民主党の議席を足しても過半数に至らないこともあり、政策的には相違点も多い保守党と自由民主党の連立政権が誕生するに至った。
イギリスの小選挙区制の現状と改革の動き
機能不全に陥っているイギリスの小選挙区制

 すでに述べたとおり、イギリスでは二大政党の得票率がどんどん低下している。現在、イギリスの二大政党の得票率は70%弱あるが、この数字は小選挙区制を正当化するためには「少ない」数字と考えられているようである。
 また、当選する候補者の内、選挙区で過半数の得票を得られない者が3分の2にも達しており、これ自体が強い批判にさらされている。
 さらに、イギリス国会下院の選挙では、全選挙区の3分の2ないし4分の3は「安全区」と言われ、勝負の結果(どの党が議席を得るか)が選挙前から決まっているとされる。
 その結果、激戦区に居住する一部の有権者(全有権者の1.6%)の投票動向が選挙結果を大きく左右する「民主主義の赤字」といわれる事態に陥っている。サッチャー政権時代の保守党やブレア政権時代の労働党はこの層を上手く取り込んだことによって政権を獲得したと言えるが、今回の調査では、労働党はこの1.6%の有権者に受ける政策を前面に打ち出すため、本来労働党が目指すべき政策を打ち出せなくなってしまった、との指摘がなされていた。

経費スキャンダル
 また、2009年には、イギリス政界でも日本と同じ様な経費スキャンダルが発生した。イギリス下院では、遠方の選挙区で選出された議員のためにセカンドハウスの費用を負担する制度があるが、与野党を問わず、国会への通勤には不向きな場所にあるセカンドハウスのローン代金を請求したり、ロンドン近郊の通勤圏の議員がセカンドハウスの費用を請求するなど、問題のある事例が次々と明らかになった。法違反で刑事告発された議員は4人にとどまったが、この問題は国民から大きな批判を受けることになり、政治改革が求められる事態になった。
連立政権の誕生と国民投票の実施決定
 そのような中で2010年の総選挙では、政権党だった労働党が大きく後退する一方、保守党も過半数の議席を制することができず、小選挙区制の下であるにもかかわらず、保守党と自由民主党の連立政権が誕生した。なお、イギリス国民が本格的な連立政権を体験するのはこれが初めてのことのようだが、イギリスの政治で連立政権が誕生したこと自体への評価は悪くないようである。
 自由民主党は小選挙区制の負の影響を最も受けてきた政党であり、小選挙区制の廃止と比例代表制(STV)の導入が長年の悲願であった。しかし、連立パートナーの保守党は小選挙区制の維持を目指している。両党の妥協の結果、2011年5月5日に小選挙区制を修正した制度である対案投票制(AV)導入の賛否を問う国民投票の実施と下院の定数削減(650から600)及び「労働党に有利な」選挙区割りの改定が決まった。イギリスで選挙制度改革を目指す団体の多くもSTVを指向しており、この点からもAV導入の賛否を問う国民投票の実施は妥協の産物だったと言える。
行き詰まり正当性を失うイギリスの小選挙区制
 今回の調査では、小選挙区制の行き詰まりを前に、労働党の国会議員や選挙制度改革を進める活動家から「小選挙区制は民主主義の制度としては機能しなくなった」「小選挙区制は正当性(Legitimacy)を失った」という意見が異口同音に語られた。また、中立的な立場にあるイギリスの内閣府の官僚でさえも小選挙区制で当選した当選者の得票率が下がっている状況は政府の正当性に影響を与える、と述べた。国民投票を前にして、イギリスの小選挙区制は様々な面から激しい批判にさらされているのである。今回の調査で一番印象的だったのは、「民主主義」「正当性」など立憲主義の原点に立ち返った議論を何のてらいもなく、当たり前のこととしてするイギリス人の姿だったと言える。
 また、現在の連立政権は小選挙区制の下で出現しており、選挙での得票状況からすれば、今後も連立政権になる可能性がある。イギリスの伝統である「二大政党制による対決型の政治」という構図は小選挙区制の下でもすでに崩れ始めており、イギリス政治は大陸型の様々な意見の利害調整型の政治への移行過程にあると言える。このようにイギリスでは、二大政党からの政権選択、という小選挙区制の"長所"はすでに機能しなくなっているのである。
 今回の調査は、対案投票制(AV)導入の賛否を問う国民投票の実施が決まった直後に行ったが、「AV反対」運動は「AVは費用がかかる」というネガティブキャンペーンを前面に押し出しており、小選挙区制の正当性を語れない状況だった。これは政党レベルでも当てはまる。保守党のキャメロン党首(首相)は、国民投票の実施が決まった日に、国民に向けて対案投票制(AV)の導入に反対する演説を行ったが、ここでは対案投票制(AV)の制度的な複雑を突き、また「対案投票制(AV)は比例的な制度ではない」という、自らの立場を掘り崩しかねない批判を行った。その一方で、小選挙区制の制度としての正当性については「政権交代可能な制度である」というだけで、本来二大政党制となるはずの小選挙区制の下ですらハングパーラメントが起こった事態についてまともな説明ができなかった。
イギリスの小選挙区制の存立基盤は失われつつある
 以上のように、実際の投票の場面で小選挙区制が制度として機能不全を起こし、小選挙区制の正当性に対して国論を二分する形で強力な疑問が呈され、小選挙区制維持派も制度の正当性を十分に示せない状況をみると、イギリス小選挙区制はすでに存立基盤が失われつつあると判断せざるを得ない。今回の国民投票の結果に関わらず、長期的に展望すればイギリスの小選挙区制の変革を求める流れはもはや止められないレベルになっている。