舞鶴での団事務所開設にあたって −京都北部の裁判所支部事情−

吉本晴樹

一 団京都支部では、この間、京都府北部地域における団員・団事務所の配置に取り組んできた。同地域においては、一九六九年に小林義和団員が舞鶴で事務所を設立し、次いで一九八五年に宮本平一団員が福知山法律事務所を設立して、以来、両事務所が地域に根ざした民主的法律事務所としての活動を続けてきた。しかし、後継者対策の必要から、新たな団員の派遣が要請されてきた。
 そこで、派遣されることになったのが私である。当時は新入団員であった私を派遣するにあたり、京都支部は次のようなロードマップを用意した。
 ステップ(1)登録一年目は、京都第一法律事務所にてトレーニングを積む(〇八年一二月〜一〇年四月)。
 ステップ(2)二年目は、福知山法律事務所に移籍して、勤務弁護士をしながら更に経験を上積みする(一〇年五月〜一年間を目処)。
 ステップ(3)その後、舞鶴にて独立して団事務所を立ち上げる。
 本原稿執筆時点(一一年三月末)ではステップ?の最終段階にあり、本年五月の開業(ステップ?)に向け準備を進めているところである。
 本稿は、私の福知山での約一年間の経験を踏まえた報告である。
二 京都府において、特に北部は、人口減少が急速に進んでいる。最新の国勢調査によれば、舞鶴市の人口は八万八〇〇〇人であり、この五年間で三〇〇〇人の人口減が報告されている。リーマンショック以降の産業の衰退、地域経済の落ち込みも深刻である。両者が相俟って事件数の減少に拍車をかけている。
 にもかかわらず、弁護士人口だけは増大している。一〇年三月時点で京都北部(福知山、舞鶴、宮津の三支部管内)の弁護士数は十二名であったが、現時点では十九名に増加している。この一年間で一.五倍以上増えたことになる。
 かつて京都北部は紛うことなき弁護士過疎地域であったが、今や供給過剰である。都市部においてはもちろんのこと、今や京都北部地域においても、パイの奪い合いは確実に始まっている。
三 もちろん地域住民にとって弁護士へのアクセスは改善したといえる。しかし、だからといって司法全体へのアクセスが良くなったわけではない。なぜなら、裁判所の支部機能の縮小という重大問題が進行しているからである。
(一)労働事件
 京都北部の裁判所支部では労働審判は行われていない。この問題については、平成二二年度の一審協において、弁護士会を通じて、労働審判を実施するよう要望を出したのであるが、これに対する裁判所の回答は、「調停による解決が可能」というものであった。
 しかし、民事調停で解決できるならそもそも労働審判制度など要らない。労働事件を専門的集中的に解決する必要があったからこそ労働審判制度をはじめたのではないのか。事実、労働事件を適切に解決する能力が支部の民事調停にあるかというと疑問符が付く。
 労働審判を実施しない裁判所の姿勢は、地方の切捨てであり、北部の住民に対する許し難い差別である。
 では、いきなり訴訟提起をすればよいかというと、実はそれにも問題がある。小林団員と私が原告代理人となった不当降格処分取消の訴訟では、被告会社から報復的反訴が提起されたが、支部長裁判官は、争点が複雑化したとの理由で早々に京都市内の本庁への回付を打診してきた。もちろん拒否して回付を阻止したが、裁判所の事件に取り組む姿勢として不安を感じた。
(二)専門的分野の事件
 右の問題は、北部の裁判所支部では事実上合議事件を扱わない運用になっていることから生じる。このため医療過誤や建築紛争といった専門的分野の事件は、北部の弁護士にとって悩ましい案件となる。すなわち、支部に訴訟を提起して審理をするとなると、裁判官がその事件にどれほど真剣に取り組めるのか不安を感じる。かといって、本庁に提起してしまうと、本庁に出張するだけで一日仕事になってしまう上、依頼者にも負担をかける。依頼者の利益にとってどちらが良いのか、北部の弁護士は苦渋の判断を迫られることになる。
(三)裁判員事件
 裁判員裁判も、北部の裁判所支部では実施されていない。北部の弁護士はこれについてはあまり実施せよとは言わないが、私は実施すべきと考えている。支部で労働審判を行わないことが差別であるならば、裁判員裁判を行わないこともまた差別だからである。
 私が被疑者段階から担当した福知山の事件では、本庁にて裁判員事件として起訴されたため、起訴後からは古川美和団員に複数選任方式で共同受任していただき、このたび裁判員裁判を終えることができた。京都の団員の協力を得られたことは本当に嬉しかった。反面、地元の事件を地元で扱えないことは誠に残念であった。
四 以上に見てきた通り、京都北部の裁判所支部機能は弱小化の傾向にある。これが進めば、地元の弁護士が取扱いができる事件の種類はますます限られてしまう。この傾向は断固阻止しなければならない。私が舞鶴にて団事務所を開設してからは、これまで以上に挑戦的な姿勢で臨みたい。
 私がこのたび舞鶴での開業に踏み切ることにしたのは、舞鶴での先駆者である小林団員、そしてこの1年間福知山で私を鍛えていただいた宮本団員をはじめ、京都支部全体からの多大なるサポートがあったからである。この場を借りて心底から感謝を申し上げるとともに、これまで支援していただいた団員の皆さん、そして舞鶴の労働組合をはじめとする地域の皆様の期待に応えられるよう取り組む決意である。