民法628条に基づく損害賠償請求が認容された事例

塩見卓也

 本年7月4日、民法628条に基づく損害賠償請求を請求原因とする珍しい事件で、請求を全面的に認容する判決をとりました。この判決は、有期雇用で働く人が使用者から理不尽な扱いを受け退職に追い込まれた事例等、非正規労働者の権利を守るたたかいに有利な先例になると思われます。
 事件は以下のような事案です。
 原告は、テレビCMでも有名な某クリニックの経営者一族が100%出資している広告会社の大阪支社で、当初は営業職の正社員として働いていました。ところが、その大阪支社で不祥事があり、会社は大阪での業務を縮小することにしました。原告を除く社員はいずれも退職し、大阪には原告だけが残ることになりました。さらに会社はその機会に、原告に、それまでの正社員としての契約から、契約期間1年の有期雇用の契約に切り替えて欲いといいました。
 有期雇用への切り替えは明らかに不利益変更なので、通常ならば受け入れられません。しかし、会社は、有期雇用への変更と引き換えに、給料のうち歩合給部分の歩合率を原告に有利に変更することと、従前の大阪支社を廃止する代わりに、原告が常駐できる「大阪事務所」を確保することを約束しました。原告は、「大阪事務所」さえ確保されたら、そこでの勤務は自分一人だけなのだから、有期雇用といえども、事務所が維持される限りそう簡単に雇止めされずに契約が更新され続けるだろうと考えました。そして、必ず会社が大阪事務所を確保すること、自分の勤務地は大阪事務所に限定されることを確認した上で、この会社からの契約更改要求に応じました。
 ところが、旧大阪支社の賃貸借期間満了が近づいてきても、会社には新たに大阪事務所を賃借しようという動きが全く見られませんでした。原告は、何度も会社に大阪事務所の確保はどうなっているのかを問い合わせましたが、なしのつぶてでした。それどころか、旧大阪支社の賃貸借期間満了の1か月前になって、突然原告に在宅勤務を命じる通告をしてきました。原告の自宅は京都で、在宅勤務では大阪の顧客との間での仕事を継続することが困難になってしまいます。
 原告は、会社が大阪事務所を確保せず在宅勤務を命ずるのは契約違反だという理由で、自分から会社を退職しました。その後、私のところに相談に来られました。
 通常、労働相談を受ける場合、いかに使用者に理不尽な点があっても、「自分からは辞めるとは言わないように」とアドバイスします。本件も、退職の意思表示より先に相談を受けていたら、私はそうアドバイスした上で、「大阪事務所を用意しないのは契約違反で、契約どおりの勤務できないのは会社の責任なので、こちらは賃金請求権を失わない」との主張で、賃金請求を行う方針をとったと思います。しかし、本件では、原告は既に明確な退職届を出していました。そのような事案でどのような請求が可能なのか思案しましたところ、民法628条に基づく損害賠償請求認容判決請求ができるのではないかと考えつきました。すなわち、同条は「当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う」と規定するところ、本件は、会社が大阪事務所を確保せず、しかも営業の仕事が継続困難になる在宅勤務を命じてきたことは、原告が契約期間途中で退職する「やむを得ない理由」にあたり、同時に会社に契約違反の落ち度があるがあったといえることから、同条に基づく損害賠償請求ができると考えたのです。
 ところが、その後いろいろ調べたところ、「民法628条に基づく損害賠償請求」には、どうやらこれまでに先例となる裁判例がないことが分かったのでした。
 私は、先例がないために今回の訴訟の結果がどうなるか先が読めない不安はあったものの、むしろ今回の事案こそ価値の高い先例にすることができるのではないかと考え、本件を提訴しました。結果、原告が退職に追い込まれた時点から本来の契約期間が満了するまでの期間の賃金総額に相当する損害賠償を満額で認める判決が出ました。
 判決はまず、在宅勤務命令は労働者の私生活への影響が非常に大きいものなので、「使用者である被告としては十分に考慮することが必要であって、そのため、労働者にこのような負担が生じるにもかかわらず自宅を事務所として使用する場合には、労働者の個別合意か、就業規則上の明確な定めが必要であると解すべきである」と述べ、まず在宅勤務命令には労働契約上の根拠を要することを明らかにし、本件においてはそのような在宅勤務命令の根拠は認められないと認定します。それに加えて、本件契約においては、会社が大阪事務所を確保することが労働契約内容となっていると認定します。さらに、会社には在宅勤務命令による原告の不利益を考慮した跡がうかがえず、にもかかわらず原告に不利益を強いてまで在宅勤務命令により合理化を図らなければならなかった事情が会社にあったとは認められないと断じ、本件における原告の退職の意思表示は、会社の故意過失による「やむを得ない事由」によるものと認定しました。その上で、有期労働契約の残期間分の賃金額満額を「損害」と認めました。
 この判決の趣旨からすれば、今後は、例えば有期雇用の非正規労働者が、正社員から差別されたりいじめを受けたりされている状況で、会社に改善を訴えたのに全く対処してもらえず、耐えきれずに自分から期間途中で退職したなどの事例で、慰謝料とは別に会社に対し残期間分賃金に相当する損害賠償請求が認められると考えることができ、先例価値が高いと思われます。また、副次的な論点ですが、使用者が在宅勤務命令を行えると認められるためには、就業規則に、一般的な配転命令権の根拠規定の他に、在宅勤務命令今が可能と読める内容の明示規定が必要である旨を判示した点も先例価値があると思います。今回の判決が、今後の非正規労働者の権利向上に少しでも役立てばと思うところです。